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横浜地方裁判所 昭和41年(ワ)577号 判決 1970年9月29日

原告 斉藤信夫

被告 日本石油精製株式会社

主文

原告と被告会社との間に雇用関係が存続することを確認する。

被告会社は原告に対し昭和四一年三月二七日以降毎月二五日限り一か月金二二、五七七円の割合による金員を支払え。

訴訟費用は被告会社の負担とする。

この判決は主文第二項に限り仮に執行することができる。

事実

第一当事者双方の申立

一  原告

主文第一ないし第三項同旨の判決ならびに金員支払部分につき仮執行の宣言。

二  被告会社

「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決。

第二請求原因

一  被告は、石油製品の製造精製、混合処理、受託精製および貯蔵等の業務を行う株式会社であつて、肩書地に本店を有し横浜市神奈川区子安通三の三九〇に横浜製油所を有するほか、根岸、下松、室蘭にもそれぞれ製油所を有している。

原告は、昭和三五年四月一日被告会社に入社し、同年九月までの教育期間を経て、同年一〇月から昭和三七年三月まで横浜製油所保安課安全係、同年四月から同年五月二〇日まで同課消防係、同年同月以降動力課発電所係として勤務していた。なお、原告は、昭和四一年三月当時、毎月二〇日締切りの二五日払いで一か月金二二、五七七円の賃金支払いを受けていた。

二  ところが、被告会社は、昭和四一年三月二一日付で原告に対し、訴外日本石油株式会社(以下、単に「日石」という。)名古屋支店名古屋油槽所業務係に転籍を命ずる旨の意思表示(以下「本件転籍命令」という。)をし、右転籍命令の実施期日の昭和四一年三月二七日以後、被告との間には雇用関係が存在しないと称して原告の就労を拒否し、かつその賃金を支払わない。

三  しかしながら、本件転籍命令は、次の理由によつて無効である。

1  被告会社の労働協約および就業規則には、転籍を義務づける規定はない。すなわち、労働協約第三六条においても、「人事権とは、従業員の業務上の指揮統制、教育、採用、配置、異動(転勤、転出、休職、復職および昇降格)、任免、賞罰(褒賞および懲戒)、解雇ならびに従業員の能力および身体の適否の判定の権利をいう。」と規定され、転籍はこれから除外されており、また、同第四一条には、「業務、保健その他の事由により、転籍または転出を命ずることがある。この場合、正当な事由がないときは、これを拒むことはできない。」と規定され、就業規則第六九条第一項にもこれと同旨の規定があるだけで、転籍を命じうる旨の規定はない。したがつて、被告会社は原告に対し一方的に転籍を命ずることができず、転籍には原告の同意が必要である。

2  本件転籍命令は、原告の思想信条を理由とするもので、憲法第一四条、労基法第三条に違反する。すなわち、本件転籍命令は、業務上の必要性に基づくものでなく、原告の実兄斎藤秀夫が日本共産党等の革新政党を支持し、これを支援する活動をしているところから、原告をこれと同視し、また原告自身も職場の内外で日本民主青年同盟の活動に同調してこれを支援する活動を行つて来たことを理由に原告を被告会社から排除する目的でなされたものである。

3  本件転籍命令は、権利の濫用にあたり許されない。すなわち、原告は中学校卒業と同時に被告会社に入社したが、被告会社に勤務するかたわら県立神奈川工業高校機械科夜間部を卒業し、神奈川大学経済学部に入学して現在在学中である。もし、被告会社の指示に従い名古屋に移住するならば、原告の学問への道は閉されて大学も中退のやむなきに至るばかりでなく、原告の賃金で家計を支えて一家で共同生活することも不可能となり、一挙に原告の家庭生活は破壊される。したがつて、原告の立場を全く無視してなされた本件転籍命令は、原告の生存権を奪うものであつて著しい人事権の濫用である。

四  よつて、原告は被告会社に対し、原告と被告会社との間に雇用関係が存続することの確認および昭和四一年三月二七日以降毎月二五日限り金二二、五七七円の割合による未払賃金の支払を求める。

第三被告会社の答弁とその主張

一  請求原因一、二の事実は認める。

二  同三は争う。

1  本件転籍命令の根拠は、後記三のとおりである。

2  被告会社には原告に対して本件転籍を命ずる業務上の必要性がありまた、原告やその実兄の政治的活動と思想傾向については全く知らなかつた。

3  原告が就業時間外に勉学することは自由であるが、かような個人的な事情で被告会社の業務上の必要性に基づく本件転籍命令を拒否することはできず、もし拒否することができるとすれば、それは非通学従業員との間の均等待遇の原則にも反するものである。なお、原告が名古屋に移住しても家計を支えることが不可能となるわけではなく、したがつて、原告の家庭生活が破壊されることなどありえない。

三  本件転籍命令の根拠について

1  日石および被告会社と日本石油労働組合(以下「組合」という。)との間に昭和四〇年三月二一日締結された労働協約(本件転籍当時効力を生じていた)によると、その第四一条に「業務、保健その他の事由により転籍または転出を命ずることがある。この場合正当な事由がないときはこれを拒むことはできない」と規定され、また、当時の就業規則第六九条第一項にも右協約第四一条と同文の規定が定められており、被告会社はこれらに基づき原告に対して本件転籍を命じたのである。

2  そして、右協約第四一条および就業規則第六九条第一項に定める転勤とは単に同一会社内における一事業所から他の事業所への従業員の配置転換を意味するだけでなく、日石および被告会社間の従業員の転籍をも含むものであつて、これらの規定において本来の転勤と転籍を用語上区別せず「転勤」に転籍をも含めて成文化した事情は、次のとおりである。

(一) 被告会社設立の経緯

日石は、昭和二六年一〇月ころ、外国からの原油輸入技術導入が緩和されるようになつたので、外資を導入して外国からの原油を確保し、技術援助を受けるべく計画を立てた。しかし、直接外資を導入すれば外国資本の支配を受ける虞れがあつたため、日石は、(一)外資導入を製油部門に限定し、万一の場合でも販売部門を掌握する親会社に対して外資の支配が及ばないよう製油部門を分離して別会社を設立することとし、(二)この別会社においてもさらに外資の支配を防止するため資本構成を五〇パーセントずつにすることにし、(三)別会社における人事権は外資の圧力を受けることなく自主的に行使できるようにして、その横浜、下松両製油所を評価額金二〇億円で現物出資し、カルテツクス石油会社が二〇億円を現金出資して資本金四〇億円で被告会社を設立した。その際、両製油所所属の従業員は、改めて新会社と労働協約を締結することなく、現物出資に伴つて全員自動的に被告会社に転籍され、その従業員となつた。

すなわち、日石としてはもともと被告会社を分離して設立する必要は全くなかつたのであつて、被告会社を法律上別法人としたのはもつぱら外資対策のためであり、したがつて、被告会社が実質的には日石の一部門であることの意識に変りはなかつた。

(二) 転籍制度創設の経緯

被告会社設立に際し、日石の労使間において被告会社の性格および同会社の従業員の地位が問題となり、昭和二六年五月二四日第一回中央生産委員会(日石とその労働組合との間で構成された協議機関)において、組合側から(一)両会社に分かれても設立の目的からして両会社は実質上はあくまで一体であるべきこと、(二)両会社間の人事交流は被告会社設立前の単一会社であつた当時と同様に実施すること、および(三)両会社の労働条件は同一にしかつ労働協約も一本にして欲しいことの三項目の要望が出されたところ、日石側もこれを了承した。ついで、右協議事項を成文化するに当り、同年八月一五日労使双方が労働協約改訂に関する交渉を開き、日石側から日石、被告会社間の人事交流を「転籍」という用語で規定し、転籍を転勤扱いとする(従業員の同意を要せずに会社が人事権の行使により一方的に転籍を命じうること)旨の案が提示されたところ、組合側はこれに対して反対しなかつた。その結果、昭和二六年一〇月一日日石、被告会社、組合との間に新労働協約が調印され、同協約第五五条で、現協約第四一条と同じく、「業務上または保健その他の事由により、転勤または転出を命ずることがある。」と規定し、また第五九条第一項第七号において、「社命により日石または被告会社に転籍されたときは解雇しまたは退職させる。」と規定された。右規定の趣旨は、会社がその一方的な意思によつて従業員の転籍を命じ得ることを明確にするにあつたのである。

そして、前記両製油所所属の従業員は、右労働協約第五五条により、その同意を要せずに被告会社に転籍され、また被告会社従業員にも、会社設立の経緯からして日石から他の会社に移つたという意識は全くなかつた。したがつて、当時から協約、就業規則を通じ、両会社は従来どおり一体であつて、両会社間における従業員の転籍は転勤と同様にその同意を要しないという観念が組合側の希望したとおりに確立されたのである。なお、二年後右協約第五九条第一項第七号の「社命により」とある部分は、当然のこととして削除されたが、この部分を除き第五五条、第五九条の各規定は、条文番号こそ異るが、そのまま今日に至るまで存続している。

(三) 転籍制度維持のためにとられた措置

(1) 転籍者に対する不利益防止規定

被告会社は、設立以来日石と同一の就業規則、給与規則を適用して、同一の労働条件を維持して来たが、さらに従業員の相互転籍に伴う雇用契約上の権利の中断および待遇上の不利益を防止するため、左記のような特別規定を設けている(なお、就業規則および給与規則中の左記規定は両会社と組合との間に締結された単一かつ共通の労働協約に基づいて定められたものである。)。

イ 転籍者に対する選考試験不適用(就規第六条、労協第三九条)

ロ 転籍者に対する休暇日数の通算(就規第三九条第五項、労協第九六条第四項)

ハ 転籍者は従来の会社を当然退職する(就規第七三条第一項第七号、労協第四五条第一項第七号)

ニ 転籍は遅刻、早退の時間数については転籍前の会社のそれを加算する(給規第六条第二項、労協第一〇一条第二項)

ホ 転籍者の初任基本給は転籍前の会社の基本給と同額(給規第一〇条第二項、労協第一〇六条第二項)

ヘ 転籍者に対する既往の賃金の加算(給規第一九条第二二項、労協第一一四条第二項)

ト 勤務地手当支給について転勤者と転籍者との同一取扱(給規第二一条第一項、労協第一一六条第一項)

チ 休職、解雇、退職の場合、転籍者の既往の賃金は転籍後の会社の支給とする(給規第二二条第二項、労協第一一七条第二項)

リ 転籍者の両会社における勤続年数の通算(給規第五〇条第四項、労協第一四三条第四項)

ヌ 転籍者に対する退職手当不支給(給規第五三条、労協第一四六条)

ル 別居手当支給につき転勤者と転籍者の同一取扱(給規第六七条第一項、労協第一六〇条)

オ 特別転勤手当支給につき転勤者と転籍者との同一取扱(給規第六八条第一項、労協第一六一条)

(2) 両会社の機構的同一性

日石と被告会社間では従来より両会社の意思を統一するため代表取締役社長は同一人が双方を兼任することになつており、また、両会社の従業員を実質的には同一会社の従業員として取扱う必要上、被告会社設立以来勤労部は日石および被告会社の共通部門として存在して来たが、さらに、一体性を強化するため、昭和三七年四月両会社の本社機構を合同単一化し、従前それぞれの会社にあつた総務部、仕入部、運輸部、製油部、工務部を各部ごとに併合して合同部とし、社長室も同三八年三月に合同し、各部の従業員は日石および被告会社の社員の身分を併有することとなつた。これに伴つて人事異動についても、転勤と転籍とは従来実質上は同一に取扱いながら、辞令上は一方から他方の会社へ解雇採用するという形式をとつて区別していたが、形式上も右の区別を撤廃し、単に「〇〇製油所(支店、油槽所)〇〇課勤務を命ずる。」との辞令によることとして、転勤の場合と文字どおり同一に取扱うようになつた。

(3) 労働組合関係

現在の組合は、日石、被告会社、日本石油化学株式会社の三社の従業員で組織されている。しかし、労働協約の関係からいえば、組合は日石および被告会社との間には単一の労働協約を締結しているが、日本石油化学との間には別個の労働協約を締結している。また、両会社と組合との間で交換された労働協約付属の覚書において、日石または被告会社から日本石油化学に転籍された者については、業務上の必要により日石または被告会社に転籍させることがあるが、両会社を経由しないで日本石油化学に入社したものは両会社に転籍させることはない旨確認している。したがつて、組合としても、日石と被告会社をもつて事実上同一会社と同様に考え、その間における相互の転籍は自由とする取扱いを了承しているのである。

(4) 従来の転籍者数

日石、被告会社においては、その人事交流を図るため、被告会社設立以来今日まで会社から転籍を命じられた従業員は一、〇〇〇名を超えているが、その間転籍命令に対して会社の一方的命令であることを理由として異議ないし不服を述べた者はなかつた。

(5) 以上のとおりであるから、前記各規定の「転勤」に日石、被告会社相互の従業員の転籍が含まれることは明らかである。

3  そして、右労働協約、就業規則には、いずれも転籍命令について転籍を命じられた者の同意を要する旨の規定を設けていないし、また被告会社と原告との間で、原告の転籍については原告の同意を要する旨の特約をした事実もない。したがつて原告に対しその同意を得ることなく転籍を命じうることは当然のことである。

4  仮に、被告会社が転籍を命ずるについて原告の同意を要するとしても、原告は既に被告会社に対し同意を与えている。すなわち、昭和三五年四月一日原告と被告会社との間で被告会社は就業規則、給与規則その他の諸規定に定めた労働条件により原告を雇用し、原告は右諸規定を守ることを約して労働契約を締結し、かつこの旨を記載した契約書を原告みずから署名押印して被告会社に提出しているのであるから、原告は被告会社が転籍を命じた場合にはこれに従うことに予め同意していたものである。

第四被告会社の主張に対する原告の認否および反論

一  日石および被告会社の労働協約、就業規則および給与規則が同一であること、被告会社主張のような転籍に関する規定があることは認めるが、被告会社設立の経緯、両会社の機構および人事に関する主張事実は不知、その他は争う。

二  もし被告会社主張のように転勤に転籍が含まれるとすればそれは労働条件明示の原則を規定する労基法第一五条にも反するものとして許されないものであるばかりでなく、被告会社主張の転籍に関する諸規定も転籍があつた場合における転出先の労働条件を定めたものにすぎず、このような規定があるからといつて転勤に転籍が含まれるということはできず、また、労働協約、就業規則および給与規則における規定の仕方に徴しても転勤に転籍が含まれているということはできない。

三  仮に被告主張のように労働協約、就業規則の規定が転籍義務を定めたものであるとすれば、これらの規定は違法であり、したがつて無効である。

すなわち、労働協約に定める労働条件等は、労働契約を前提とし、労働条件を保護する意味を有するものであるから(労組法第一六条)、労働協約において、労働者の解雇を容認し、当該労働者と別個の使用者との労働契約締結を強制するような転籍を義務づけることを定めることは本来許されないものである。したがつて、仮に労働協約でこのような転籍を義務づける定めをしたとしても、労働者はその拘束を受けるものではない。

また、就業規則もその性質上特定の使用者を前提として、その使用者の下で労働者が働くについての就業上遵守すべき規律、労働条件に関する具体的細目等についての規則であるから、就業規則で労働契約の当事者主体の変更を意味する転籍についてまで規律することは許されない。

四  原告は入社時に被告会社に対し転籍につき予め同意したことはない。

1  仮に何らかの意味で入社時に労働契約上事前の包括的合意があつたとしても、このような合意は憲法第一八条、労基法第五条に反し、民法第九〇条によつても無効である。被告会社主張のように同意によつて転籍する場合には、その同意は、具体的、個別的なものでなければならず、包括的な事前の合意は、強制労働、人身売買となり、これを廃止した近代労働法の趣旨に明らかに違反する。

2  仮に事前の包括的合意が是認されるとしても、それは事前の合意によつて契約当事者を拘束することが不合理ではない範囲の年限においてのみ効力が認められるに過ぎないものというべきである。そしてその合理的な範囲とは、労組法第一五条の労働協約の期間、身元保証契約の存続期間等を考慮すると最大限三年程度に限定されるべきであり、原告は入社以来すでに六年を経過しているのであるから、もはや包括的な事前の合意の効力は及ばないものといわなければならない。

第五証拠関係<省略>

理由

一  原告が昭和三五年四月被告会社に入社し、昭和四一年三月当時同会社横浜製油所動力課発電係として勤務していたところ、被告会社が原告に対し同年三月二一日付で日石名古屋支店名古屋油槽所業務係に転籍を命ずる旨の意思表示をしたことは、当事者間に争いがない。

二  原告は被告会社の労働協約および就業規制には転籍を義務づける規定はないから、原告の同意がない以上本件転籍命令は無効であると主張し、被告会社は、本件転籍命令は労働協約第四一条および就業規則第六九条に基づくものであつて、右各条の転勤には転籍も含まれているから有効であると主張するので、まずこの点について判断する。

1  成立に争いのない乙第一号証によれば、労働協約第三六条第一項に「人事権とは、従業員の業務上の指揮統制、教育、採用、配置、異動(転勤、転出、休職、復職および昇降格)、任免、賞罰(褒賞および懲戒)、解雇ならびに従業員の能力および身体の適否の判定の権利をいう。」と定められ、また転勤および転出に関し、第四一条に「業務、保健その他の事由により、転勤または転出を命ずることがある。この場合、正当な事由がないときは、これを拒むことはできない」と規定され、なお、成立に争いのない乙第三号証によれば、就業規則第六九条第一項に右第四一条と同旨の規定があるだけで、従業員に対し転籍を義務づける直接の規定は、労働協約および就業規則のいずれにもこれを見出すことができない。

2  そこで、被告会社主張のように右転勤が転籍をも意味するものであるかどうかについて検討する。

一般に、転勤とは同一企業内における従業員の労働の場所を変更するいわゆる配置転換であり、転籍とは従業員と従来の企業との間の労働関係が解消されて、当該従業員が他の企業に雇入れられることであつて、しかも、前掲乙第一、第三号証によれば、労働協約および就業規則には、従業員が日石、被告会社または石油化学株式会社に転籍されたときは、解雇しまたは退職させる旨規定され(協約第四五条第一項第七号、規則第七三条第一項第七号)、また、それらの規定上転勤と転籍とは用語上使分けられているから、特別の事情がない限り、直ちに転勤が転籍をも意味するものと解することは困難である。もつとも、労働協約の規定を解釈するに当つては、単にその用語に拘泥することなく、協約当事者の真意を探究すべきであり、この場合、当該規定の成立の経緯ないし目的あるいはこれに関する慣行等をしんしやくするとともに、他の規定との関連などをも考慮して、信義則に照らしてその意味を確定すべきものと考えられる。

なるほど、成立に争いのない乙第一ないし第四号証、乙第六号証の一ないし三、乙第八号証の一、二、乙第九号証、乙第一〇号証の一、二、証人浅野正三の証言により成立が認められる乙第五号証、同渡辺佐吉の証言により成立が認められる乙第一一号証、証人建内保興、浅野正三、原田正信、渡辺佐吉および中尾三三の各証言ならびに弁論の全趣旨を総合すると、次の事実が認められる。

戦後におけるわが国石油産業界は、戦災による石油精製工場の壊滅、国産原油の僅少という二重の悪条件下にあり、かろうじて外国石油会社の理解と好意により操業を再開することができたが、石油産業の育成と発展のためには、外資の導入と原油獲得のための外社との提携が喫緊の課題となつた。六十数年の伝統を有し、石油の精製と石油製品の販売等を目的としていた日石としても、外資導入により外国からの原油を確保すると同時に技術援助を受けるためには、強大な原油供給力を有し、かつ従来から縁故の深かつたカルテツクス石油会社と提携する以外に方法がなかつた。そこで日石は、昭和二六年三月その横浜、下松両製油所を二〇億円と評価して現物出資し、これに対しカルテツクス社は二〇億円を現金出資して石油精製を目的とする被告会社を設立することとした。

組合はかねて日石とカルテツクス社との資本提携に対し、その提携の仕方如何によつては組合員の労働条件、組合の組織等に根本的な影響があることが懸念されるとして重大な関心をもつていたが、昭和二六年五月両社の提携が具体化して被告会社が発足する段階に到達した旨の新聞報道があつたので、日石に対し中央生産委員会の開催方を申入れた。これに応じて同月二四日開催された委員会において、日石社長から両社提携の理由、提携の方法、将来の見透し等について説明があつたところ組合側もこれを了承し、右説明に引続き行われた質疑応答において、日石側は、日石と新会社は別個の会社であるから、新会社の従業員が二重の籍を持つわけではないが、その実質的内容には変りはないから労働条件等に差別はなく、人事の交流も従来どおり行い、労働協約も一本として、新会社の運営には日石があたりできる限り自主経営を行うものであつて、カルテツクス社からの常勤重役は極く少数にとどまる旨明らかにした。これに対し組合側は、(一)日石の経営者は自主性を失わないこと、(二)新会社は形式上日石と分れても実質的にはあくまで一本であるから、日石の伝統を守つて欲しいこと、(三)新会社の従業員の労働条件は日石と同一とし、提携によつて労働条件を悪化させないことの三点を厳守して貰いたい旨要望し、日石側もその要望に添うよう努力することを約した。

そして同年八月一五日日石、組合間に労働協約改訂に関する交渉が行われた際、改訂案の審議に先立つ質疑応答において、会社側協約案中の「転籍する」とか「転籍される」等の文言が問題となり、組合側が転籍という用語は辞令上でも使用するのかと質したのに対し、会社側が辞令上はすべて転籍による「解雇」として取扱うが、実質的には従来の転勤と変りがない旨説明したところ、組合側は「転籍を命ずる」という辞令を出さないとすれば単に「転籍する」という表現に改めるのが相当である旨の意見を述べただけで、転籍制度そのものについては別段質疑は行われなかつた。

かくして、昭和二六年一〇月一日被告会社が設立されると同時に前記両製油所所属の従業員は被告会社の従業員となつたが、組合関係においては従来どおり日石労働組合に所属していた。そして日石および被告会社と組合との間に、同日付で両社共通の労働協約が締結されて乙第九号証の労働協約書が作成され、同協約第五五条に「業務上又は保健その他の事由により、転勤又は転出を命ずることがある。この場合、正当な事由がないときは、これを拒むことができない。」と規定された。

しかして、被告会社発足当初からその代表取締役は日石の代表取締役がこれを兼ね、また両社の勤労部も共通であつたが、両社間における従業員の転籍については、辞令上一方の会社を解雇すると同時に他方の会社に採用するという形式をとつていた。しかし、昭和三七年から同三八年にかけて両社の社長室、計算室、広報室、総務部、仕入部、運輸部、製油部および工務部を各部ごとに併合して合同部として本社機構を単一化するに伴い、この形式上の区別を廃して転籍も辞令上転勤と同一の形式によることとした。

その後前記労働協約は改正されたが、前記第五五条の規定は依然として本件転籍命令当時効力を有していた労働協約第四一条として存続し、また、両社の就業規則および給与規則はいずれも共通であつて、これらの労働協約、就業規則および給与規則中には、被告会社主張のとおり、転籍に関する前記第三の三2(三)(1)のイないしオの各規定が置かれており、なお、被告会社設立以来これまで両会社が転籍を命じた従業員は一、〇〇〇名を超えるが、原告のように転籍命令に対し異議を述べた者はかつてなかつた。

右認定事実によれば、日石と被告会社は各本社機構の大部分が共通であり、しかも両会社の従業員は同一の労働組合に属し、両会社と組合間の労働協約、両会社の就業規則および給与規則はすべて共通であるところから、一見被告会社は日石の一事業所の観がないわけではないが、さればといつて両会社はあくまで法律上は別個の法人であることに変りはなくしたがつて、これらは実質的には同一体であつて被告会社は日石の一事業所にすぎないものとみなすことは相当でなく、また、右認定の転籍に関する諸規定も転籍従業員に不利益を被らせないようにして両会社間の人事交流の円滑を期するための規定にすぎないものと解され、なお、会社側が辞令上転勤と転籍の区別を廃して同一形式によることとし、一、〇〇〇名を超える転籍者が何ら異議を述べなかつたことも、慣行というより前記のとおり両会社が極めて密接な関係にあり、しかも転籍によりとくに不利益を受ける虞れがなかつたために、転籍者が会社側のいわゆる転籍命令に対し明示または黙示の同意を与えた結果であると解するのが相当であるのみならず、仮に被告会社主張のように転籍は実質的には転勤と同一であるというならば、右認定のような両会社の関係および労使関係のもとにあつては、当初の労働協約第五五条において転勤、転出と並べて転籍を規定することも、また、その後人事権を規定した労働協約第三六条および右第五五条を引継いだ労働協約第四一条、就業規則第六九条に転籍を明記することも何ら差支えがないばかりでなく、通常明記するのが当然であるのに、なぜそのような措置に出なかつたか理解し難いので、前記認定の事情があるからといつて、転勤が転籍をも意味するものとは到底いえない。

なお、前掲乙第一、第三および第四号証によれば、労働協約第一一六条、就業規則第四〇条および給与規則第二一条にそれぞれ「転勤または転籍を命じられ」という表現があり、成立に争いのない乙第一二号証によれば、原告が所属していた組合横浜支部人事苦情委員会の「苦情申立に対する判定書」には本件転籍命令が「転勤命令」と表現されているが、かような表現があるからといつて、前記説示に徴し、直ちに転勤が転籍をも含むものと解することは困難であり、他にまたかように解すべき事情を認めるに足りる証拠はない。

したがつて被告会社の右主張は採用することができない。

3  ところで、一般に使用者は労働契約に基づき労働者をその指揮命令下に置いて労務に服させることができるが、この権限はあくまで労働契約に定められた範囲にとどめられるべきものであつて、これを超えて労働者の同意または労働協約の規定等の法律上の根拠なく、一方的に当該労働者を第三者の指揮命令下に移して労務に服させることはできないというべきところ、原告本人尋問の結果によると、原告が本件転籍命令を受けた際これを拒否したことが明らかであり、かつ、前記のとおり労働協約ないし就業規則には転籍を義務づける直接の規定はなく、しかも転勤が転籍をも意味するものと解することができない以上、本件転籍命令はその根拠がないというほかはない。

4  なお、被告会社は原告は事前に包括的に転籍に同意を与えている旨主張するので、この点について判断する。

前掲乙第六号証の一ないし三、乙第七号証、原告本人尋問の結果によると、原告は昭和三五年四月一日入社に際し、被告会社の就業規則、給与規則その他の諸規程を遵守する旨約したこと、日石と被告会社との関係その他長期にわたる勤務の間には両社間の人事交流が行われることは確実であることなどを説明した「新入社員のしおり」を読み、これを了承して入社したことが認められるけれども、右の程度では本件転籍命令につき同意があつたものということはできず、他に原告が本件転籍の具体的内容について事前に知らされ、事前にこれを承諾したことの認められる証拠はないから、被告会社の右主張は失当である。

三  したがつて、被告会社が原告の同意がないのに一方的に日石へ転籍する旨命じた本件転籍命令はその他の点について判断するまでもなく、無効というほかはないから、被告会社と原告との間にはなお雇用契約関係が有効に存続するといわなければならない。

四  しかして、本件転籍命令当時の原告の賃金月額が二二、五七七円であり、被告会社における賃金支払方法が毎月二〇日締切りの二五日払いであること、被告会社が本件転籍命令は有効であると称して原告の就労を拒否していることについては当事者間に争いがないから、被告会社は原告に対し、本件転籍命令の実施期日後の昭和四一年三月二七日から賃金として毎月二五日限り一か月金二二、五七七円の割合による金員を支払うべき義務がある。

五  以上のとおりであるから、結局、原告の本訴請求はいずれも理由があるからこれを認容し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を、仮執行の宣言につき同法第一九六条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 吉田良正 高木積夫 秋山賢三)

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